日々のつらつら

日常の思ったことを書いていきます。不定期、深夜更新多めです。

時間の余裕があれば人生楽しくなると思ってた話。

拝啓、お元気ですか。

 

早速ですが、
社会人時代はそれなりの社畜で休日も7割くらいはだらだらと過ごしており、毎秒仕事を辞めてニートをしたいと考えてました。

仕事を辞めてはや半年、いまだにバイトも見つからず無職学生をしています。

実際めちゃくちゃ時間の余裕ができての所感ですが、
睡眠時間も十分に取れて体はとても元気になりました。でも、生きがいとかが欠けて人生はあんまり楽しいと感じません、社会人時代のほうが満ち足りていたな~としみじみ感じます。

具体的に小さいことにうじうじ悩んで悪い意味でメンタルの起伏が激しくなったり、社会人時代よりも輪にかけてだらだらするようになりました。

QOLについて思うことがあったので書き残していこうとおもいます。
QOLとは健康状態、経済状態、社会的役割、つながり、人間関係などすごく広義なものです。
時間的余裕をできたことで、私は健康状態や自分の時間といった内面的な部分はすごく強くなりました。でも、その反面、社会的役割や繋がりが大きく欠けてしまいました。

部署的な関係もあり、強い役割、横のつながりがあった状況から、夜間学校という人とのつながりが薄く役割が免除されている学生の立場になったギャップは大きく、暇な時間が多くやることなく体を動かすきっかけとなる役割がなくなったので、無駄に考えるようになり、以前とのギャップで成すことなせていない焦燥感に苦しむようになりました。けれども、それはあくまで役割などで今までは目をそらし続けていた自分の自堕落や不安定な部分を、時間を余裕からまじまじと見つめるようになっただけという気もします。

ぶっちゃけ、自分は根幹がまじめ系クズであり、誰かから役割や仕事を与えられ、適度ストレスを与えられているほうがやりがいや言い訳を得ることができて都合がよいのだと痛感しました。
将来的にはアーリーリタイヤやニート生活もしてみたいけど、結局家に引きこもりがちで社会とのつながりを渇望してしんどくなっちゃうだけなんでしょうね。

話が変わりますが、心理学の授業でマズローの階級説というものを聞きました。
人の欲求はピラミッド状の階層上で分かれており、食欲などの生理的欲求などが最も強く、人に認められたいなどの自己実現欲などは後回しにされるというものでした。
しかし、一部の人はもっとも後回しにされる自己実現欲を優先して土台となっているその他の欲を捨てるという話でもあり、それはまさに自分に当てはまるものでした。

まじめに見えて実は無気力なだけのガチ陰キャが一念発起して環境を変えた結果、いままでの至らなさを知ることになりました。
学生になる前は勉強面で悩むとは考えても自分の内面で悩むとは思っておらず、メンタル面では社会人時代とは異なったしんどさがあります。
時間の余裕は素晴らしいものですが、それを生かす側の強さは意識を高く持ち続ける必要があります。その原動力をなるのが先に挙げたQOL、生きがいなんだと思います。

 

文章も一貫性がなくて常に迷い続けているのが書いていても感じます。
とりあえずこれからバイトを見つけて不安な気持ちを埋めつつ、根本から自分を見つめるところからいかねばと思います。

かしこ。

 

暑いのは嫌いだけど夏は好き。

今週のお題「好きなアイス」

 

拝啓、お元気ですか。

 

前期考査もひと段落し、あっという間に夏も真っ盛りになりました。
日々の暑さにとろけそうになる毎日にうんざりしますが、今だから体験できることがたくさんあってなんだかんだ夏は良いなと感じる日々です。

 

 

先日の日曜日、地元にあるかき氷屋さんに行きました。
地元にある氷屋さんのおばあちゃんが店先で売ってるような小さなところなのですが、前々から知っていててもいったことがない地元スポットでした。

店先のベンチで子供に交じって実食、食べてびっくり。
氷屋さんの氷で使っているだけもあってお家で作るよりも雑味もなくふわふわとした舌触りでした。

正直、喫茶店などにある一つ1000円程度のかき氷には懐疑的で外でまともなおいしいかき氷を食べましたが、お家や祭りの屋台で食べるものとは全然違ってました。

 

二十歳そこそことなり、まじめにかき氷を食べるのはかれこれ10年ぶりくらいです。
年齢を重ねるに連れてやらなくなったり遊び、食べなくなった駄菓子などたくさんありますが、こうやって再体験するのすごく素敵なことだと思いました。 

あっという間に夏も中盤、これから臨床実習もありさらに忙しくなるばかりですが、残り少なくなった夏を精いっぱい堪能したいと思います。

 

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これで300円、地元クオリティ。

 

脈なし辛し。恋愛はきつい。

拝啓、お元気ですか。

 

テスト期間真っ最中ですが、周期的にナイーブになる時期が重なってメンタルが低空飛行中です。

こういう時はさっさと寝るに限るのですが、テストの都合上寝れずに意味もなく沈んでいます。

 

さて、

私が最も今気分を盛り下げているものとは、ちょっとだけ気になってる女の子にちょっとだけアプローチしてみたのですが、脈なしであろう反応が来て現実みて一人で落ち込んでいます。

今までも若干避けてきて、社会人時代は放棄していたため久しぶりの恋心、失恋に近い感情なのですが、かなりメンタルに来ました。

 

今までさんざん彼女欲しいと言ってきましたが、実際に行動に移すとかなり辛いです。

何より片想いでうまくいかない時が一番辛い。

その分お互いに気があればあんなに楽しいんでしょうね。

 

テスト中に何をやってるんだろう。

その一言に限ります。

 

今まで避けてきたツケを払っていると実感しています。

多分もう進展もない恋ですが、変に意識せずに自分らしく全うしてすることに集中しようと思います。

 

かしこ。

バイク納車したときの話。

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

拝啓、お元気ですか。

 

早速ですが、記憶に残っているあの日々ならたくさんありますが、あの日となると結構難しいものです。

 

今でも明瞭に覚えている1日といえば、バイクの納車した時の帰り道は音と光景、初めての自分のバイクで走り出した感動はいまだに忘れることができません。
あれはたしかGW前の雨上がり後の夕方でした。半年以上探していた車種が見つかり、納車したときです。

速度計とタコメーター緑いろにひかり、闇夜を切り裂くような滑らかに吹き上がるエンジンサウンド、自分を押すようなシートポジションなど私の語彙力では表せないほどの衝撃が走ったことを今でも鮮明に覚えています。

 

今は降りて未練たらたらですが、それでも乗った思い出は宝物の1つですね。

バイクについてもあと1つくらいで書き終わります。最後はなれそめ的なことをかけたら幸いです。

 

かしこ

 

呂布カルマさんの動画と発生学の勉強で人を一段階好きになれた話。

拝啓、お元気ですか。

 

早速ですが、この切り抜き動画の後半部分を見てください。

 


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この動画の後半部分に、ラッパーの呂布カルマさんが自分に子供が生まれて自分で育てたことで、親の気持ちが理解でき感謝した。そしてほかの人も同じように親に思われて育ってきたと感じれるようになった。世界中のすべての人を一段階底上げして好きになれたと言及されています。

 

正直私も子供を好きにじゃありませんでした。

でも、職場の仲がいい人に生まれて1歳くらいの小っちゃな子と遊ぶ機会があって、成長をしていく過程、お父さん、お母さんが子供に対して愛情を与える姿をみて呂布カルマさんが言ったことがすこし理解できた気がしました。

 

ここで本題で、最近生殖器と発生学について学校で学ぶ機会がありました。
書くと長々となってしまうのですが、受精して子供が生まれるまで自分が想像している以上に長期的でなにより神秘的な奇跡といっても過言ではないプロセスを経て、子供が生まれていることを理解することができました。

(具体的に書くと生々しいのでまたの機会に書こうと思います)

いまこうしてPCに向かっている自分、いつもは気にしない赤の他人もあってもこのいろいろな繊細で神秘的な過程を経て生まれ、誰かからの愛をうけここに立っていると思うと、今まではわからなかった命の重みを感じるようになりました。

 

医療系学校に行くことで、今まではなんとなくで流していた不思議なことが理解できるようになり、人間として成長できる機会が与えられている気がします。
まだ入学して数か月の始まりですが、最初は失敗かと思っていた進学も希望を持てるようになってきました。
これらを希望に目先のテストから頑張っていきたいです。

 

かしこ

翻訳ってすごく面白いと思う話。

 

前略、お元気ですか。

 

夏目漱石が逸話で、”I love you”を「月が綺麗ですね」と訳したのをご存じでしょうか。
意味をそのまま述べる直訳と違い、翻訳はもともとの書き手の意図をより伝えるために多少曲解して書くこともあり、とても難しいけど素敵で面白いものだと思いました。

 

特に、洋楽の歌詞を翻訳する場合は歌詞に含まれた意図を伝えるために、翻訳者によって十人十色の和訳が行われていると感じます。
例えば、ラブソングを直訳気味に直球で書き起こす人もいれば、ストーリー性重視して本来はその単語に存在しない類義語でロマンティックに書き起こす人もいます。
つまり書き起こす人によって曲に関する印象が大きく変わり、和訳によってより好きになることもできれば嫌いになることもできることもできます。

 

このブログで何が言いたいかというと、
私はed sheeranが好きでよく和訳を調べます。
彼が記す歌詞はとても感傷的で、私がまだ持たぬ情景を垣間見ることができます。
いずれは人の和訳したものではなく、自分自身が自分好みに曲解してより好きになりたいなぁと思います。

 

かしこ

 

今回僕の中で和訳がばずったエドの楽曲


www.youtube.com

 

 

メダカが死んだあとお寿司食べた話。

前略、お元気ですか。

 

本日、自宅で飼っていたメダカが死にました。

そのメダカは私の家で飼っていた先代メダカが生んだ2世メダカで、オスしか生まれなくてそれからは増えずに減っていったメダカの最後の生き残りでした。

 

そのメダカはすごく長命で、かなり雑な飼育環境で2年近く生きていました。
死にそうな予兆を感じても1か月ほどは精いっぱい生きており、今朝死んだのを見つけた際はとても悲しい気持ちになりました。

 

昼下がり、買い物を行くついでにメダカを埋葬し、そのあとスーパーでお昼ご飯でお寿司を買って帰りました。

ふと、お寿司を食べていると、メダカを死んだときはとても悲しかったのにお寿司の魚に対しては感謝はすれど悲しさを覚えていないことに気づきました。

同じ魚という生き物なのになぜこんなにも気持ちが違うのか自分なりに考えてみました。

メダカとお寿司の魚における決定的な違いは、その魚の一生を知っているか否かであると思います。メダカは我が家で生まれ、死んでいくまでのすべてを知っていますが、私はお寿司の魚は切り身になってからしか知りません。
メダカは家族といってもいい存在で、お寿司の魚は他人であると言えます。

テレビにて、小学校の道徳の一環で、子豚と育てて最後は食べるといったものをみたことがあります。普段はいただきますといった感謝の気持ちを述べずに食べているような小学生でも、最後の場では号泣して食べるシーンを見た記憶が強くあります。
それと同じように、生き物が生きていた歴史を知れば知るほど最後の時に悲しむのだろうと思いました。

 

すこし話が逸れますが、ユーチューブであるラッパーのライブを見ていた際に、
自分に子供が生まれ、成長していく姿を見ていくことで、目の前にいる他人にも子供の時期があり、いろいろなことを経験して成長し今この場に立っていると考えれるようになって他人を今までの一段階高く好きになったと言っていました。

どのような生き物にもそこまでに成長したその人の歴史があり、どんな人であってもその人だけの歴史があることを考えればこれからもっと好きになれる気がすると思いました。

 

話が大きくなりますが、かたちはどうであれ生き物や物には別れがあります。
別れを悲しまないためにも、普段から愛着や尊敬をもって接し、写真など形に残るものを作っておくとよいのだろうなと思います。

 

かしこ。